真価が問われるとき

それは器量の大きさ、何事も恐れずにやってみることではないでしょうか?
ぶっちゃけ、僕もあまり重い腰を上げて冒険する勇気がある方ではございません。
でもいざというときやってみると、これが結構面白かったり、自分自身にメリットをもたらすことがあります。
幅を広げて道を広げるというのは、そういうことではないでしょうか?
まだあります。
相手を怒らせたら素直に謝ること。
短気は損気といいます。
確かにここで謝ったら男じゃないというときもありますけど、その辺の判断は冷静に自分で考えることです。
誇りやプライドの高さで謝ろうとしないのは、傲慢です。
もしそうやって余計に怒らせて、ただでさえ一度怒らせたら絶対に許さないという人をもっと刺激したらどうでしょう?
実際にいますからね。
そのときはひたすら謝り続けることです。
何回謝っても許さないのであれば、何ヶ月も何年もかけてでも頭を下げて誠意を見せ続けることです。
それしかないですからね。
個人的なプライドより大事なことってあると思うんですよね。
いろんな部分いろんなことで、それによって真価が問われると思うんですよね。
型にはめて己に必要以上の固々な規制を作ってはいけないと思うんですよね。
自分をもっとオープンにしなくちゃ先は見えてこないと思います。
無論、何から何まで全部受け入れるほど恥じ知らずはいけないと思いますが、やれる範囲内での冒険は必要だと思います。
それは人が真価を問われていること、試されているんですよ。
その先に一瞬の光明が見えてくると思います。
・・・ちょっと仕事中にあることで思ったことを独り言で呟いてみました(笑)